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東アフリカ・スワヒリの歴史

イスラームを基調とするスワヒリ社会

東アフリカ沿岸部、スワヒリ地方

カンガ文化が醸成されたのは、東アフリカ沿岸部、スワヒリ地方です。
東アフリカ沿岸には、古くから、アラビアやペルシャから商人たちがインド洋を吹く季節風に乗ってやってきました。年に2回風向きを変える季節風を利用したインド洋交易が発展するにつれてモガディシオ、モンバサ、ラム島、キルワといったところに交易都市が発展しました。7世紀末には、ムスリム商人がこの地域を訪れていたと考えられ、イスラームも8~10世紀頃に伝播したと考えられています。13世紀から15世紀にかけて繁栄したこれらの都市国家では、現地、アフリカバンツー系の文化を土台として、これら外来文化が混じりあった、きわめてコスモポリタン的なスワヒリ文化が築き上げられました。

ラム島

文化の共通要素はスワヒリ語およびイスラームで、スワヒリ語は12世紀には広く普及していたと考えられています。ちなみに「スワヒリ」とは、アラビア語で岸辺や縁を意味する「サワーヒル」(単数形サーヘル)が由来です。スワヒリ語の中にはアラビア語を起源とする言葉も多く含まれています。もともとスワヒリ語はアラビア語表記の言葉で、古いカンガにもアラビア語表記が入っています。20世紀初頭植民地時代にローマ字表記が発明されも現在はローマ字表記になっています。
(写真はラム島)

スワヒリ文化を伝えるモンバサ、ラム、ザンジバル

スワヒリ文化を伝えるモンバサ、ラム、ザンジバル
スワヒリ文化を伝えるモンバサ、ラム、ザンジバル
スワヒリ文化を伝えるモンバサ、ラム、ザンジバル
ブイブイをまとう女性
▲ブイブイをまとう女性

今もスワヒリ文化を伝えるのが、ケニアのモンバサのオールドタウンやラム島、ザンジバルのストーンタウンなどです。
街はアラビア風の雰囲気が漂い、行き交う女性たちはブイブイとよばれる黒い衣装で全身を覆っていて、いわゆるアフリカのイメージとはまた異なっています。
ラム島の街は13~14世紀に建設され、今でも人が通り過ぎるのがやっとという迷路のような細い道をロバが行き交っています。
モンバサは17世紀にポルトガルに支配される以前は、インド洋交易の拠点として栄え、16世紀にはインドからの綿織物製品の流通拠点ともなっていました。
ザンジバルは、19世紀にアラブ・オマーンの首都が置かれてからは、東アフリカと世界をつなぐ一大交易拠点として発展しました。ザンジバルでは、アラブに支配されてからアラブ的要素を生活に取り入れるのが流行したといわれています。現在、ラム島、ザンジバルのオールドタウン地区は世界遺産に指定されています。

スワヒリ社会では巻き布が昔から大人気!?

キルワの昔の地図
▲キルワの昔の地図
西インドでブロックプリント布を作る
▲西インドでブロックプリント布を作る

スワヒリ社会の人々は、その昔どんな衣服を着ていたのでしょう。モンバサやキルワなどで栄えたスワヒリ都市国家を訪れた人々の記録から辿ってみることにしましょう。

まず、16世紀初頭にポルトガル軍に同伴して東アフリカを訪れたバルボザの記録によれば、キルワの男性は絹・木綿に金などをあしらった豪華な衣服をまとい、女性も同様に豪華で金や銀、宝石などで木綿布を飾っていたそうです。

モンバサでは、女性たちは絹布や金をあしらった綿布をまとったり、マリンディでは男性がマントと腰布を着用したり、ターバンを巻いたり、あるいは下半身を綿布や絹布で覆っていました。また、別の記録ではキルワの奴隷は綿布だけをまとい、奴隷の所有者は二枚の綿布を身に着けていることや、モンバサでは支配者層の男性がガウンやターバンを着用していたことなどが記録されています。これらの記述から推定しますと、当時のスワヒリ都市社会に暮らす男性は二枚の綿布や絹布を用い、立場や状況によりガウンやターバンなどを着用し、女性は複数の絹布や綿布をまとい、金や銀の装飾品を装着。また、下層民や奴隷は綿布だけを着用していたことと考えられます。

こうした記述を見ると15~16世紀にはすでにカンガと同じように布を巻く習慣があったと思われます。また、イスラームの普及につれて布をまとう習慣が広まったと考えますと、さらに早い時代から巻き布が使用されていたことが推定されます。

スワヒリ社会において衣服はステータスや身分を示す重要なエレメントで、より華やかで豪華な衣装を着ることは富と社会的地位の象徴であったのでした。そしてより都会的・文化的であることの証でもあったのです。

こうした布は、実は東アフリカ沿岸各地で生産されていました。綿の栽培も行われていて、15世紀頃の布の主な生産地はマリンディ、モンバサ、パテ島、キルワ、スファラ、キリンバなどでした。パテ島ではなんと中国やインドからもたらされた絹製品の糸を解いて自分たちの美的価値に合う独自の布もが織られていたのです。このパテ島産の布は最も良質で価値が高く、王家の人々に人気があったそうです。

東アフリカ各地で独自の布が生産される一方で、インド北西部のカンベイやディウ、スラートからは大量にインド産の織物製品がもたらされており、金や象牙、奴隷などと交換されていました。インドの布も大人気で、モンバサの商人たちはカンベイ以外の布には見向きもしなかったそうです。
スワヒリ社会は着倒れ文化だったのかもしれませんね。

その後19世紀の衣装についてはまた次回。

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